会社を国を

支える人 会社を国を支える人

4代目代表取締役社長 谷口賢治

持って生まれた負けん気の強さで
人生を楽しみ、人生を切り拓いてきた。
大人になるにつれ、そのエネルギーは
導かれるように建設業へ注がれていく。

岸本建設で働く父の背中を見て育ち、
いまはその背中で岸本建設をひっぱる。
代表取締役社長・谷口賢治の
「つくるに、はまる」物語。

物心ついたときから、

勝負事が大好きだった。

毎日、日が暮れるまで汗と土にまみれて遊ぶ子どもでした。たとえば野球。近所の広場に道具を持って集まって、自分がリーダーとしてルールやチームを決めて、暗くなるまでボールを追いかけるのは日常茶飯事でした。

ほかにも今の若い子は知らないかもしれませんが、カードを地面に叩きつけ合う『ベッタン』や、『陣取りゲーム』『戦争しょうぎ』といった遊びに夢中でした。

中学生になると夢中の対象は陸上や水泳やサッカーに変わり、高校ではハンドボールに。こうして振り返ってみると、昔から勝負事が好きだったのがわかります。

反骨心に火がついた。

教授の“スパルタ教育”

土木建設科の大学に進んで2年目のこと。1週間ほぼ徹夜でつくった橋の製図を教授に破られました。
理由は教えてもらえませんでしたが、血気盛んな性格に目くじらを立てられていたからかな、と今となっては思います。

理不尽が当たり前の時代ではあるものの、黙っていられません。
「どういうつもりやお前!」と食ってかかって、さんざん反抗したあと「こんなとこやめたるわ!」と大阪に帰ったんです。

でも結局、家族に説得されてもう一度大学のある千葉に帰ることになりました。

その時落とした製図の単位は1年で1つ取るのも大変な難しい科目。それでも1年で2つ取得して、なんとか卒業しました。
製図の作成期間は1ヶ月ほぼ寝ていません。

1人就職氷河期。

食らいつくように学んだ土木建設。
その道の仕事に就こうと思うのは自然な流れでした。
でも、建設関係の企業を受けてもすべて門前払い。面接すらしてもらえません。

なぜか。私の父が岸本建設の重役だったからです。いずれ息子が後を継ぐと噂されていたので「どうせすぐ辞める」と思われていたんです。

企業への就職は諦めて、企業に発注する側の役所の土木技術課に入りました。そこで11年経験を積んでから岸本建設に移り、求人の広報や海外での人材開発、不採算現場の改善などを担当させてもらったあと平成16年に社長になりました。

社長になるまでにいろんな角度から会社を見ることができたのはとてもいい経験だったと、今では思いますね。

これからの岸本建設について

若者が入りたい会社に。

若者が熱狂する業界に。

社長に就任して15年以上、おこなってきたさまざまな改革が実を結びはじめています。中でも工事一回あたりの平均利益率が伸びたことは誇れる実績です。

その増えた利益を給与や賞与といったカタチで社員に還元することもすこしずつできています。これからも気を緩めず改革を続けることで、若い人が入りたいと思う会社に、業界に進化させてみせます。

建設業で起業する若者が多かった、私が子どもの頃のような活気を、再び業界にもたらす。そんな想いで、業界の先陣を切る改革の一手をどんどん打っていくつもりです。

メッセージ

“社長”として

会社を、国を、支えませんか。

普段みなさんが口にしている肉や魚、野菜といった食材は建設業がなければここまで広く普及していません。なぜなら食卓に届くまでには鉄道や道路といったインフラが必要不可欠だからです。災害から命を守るダムや河川、環境汚染を防ぐ滞水池もそう。あらゆる観点から人々の暮らしを支えているのが建設業なのです。

岸本建設の社員には、そんな建設工事の現場監督を担ってもらいます。現場監督の役目は人材や資材、予算を管理しながら原価を抑えて利益を増やすこと。その仕事はまるで社長業です。予算10億円の工事の現場監督は、売上10億円の会社の経営者と言っても過言ではありません。若いうちからそんな経験ができるのが岸本建設です。あなたの好奇心を、情熱を捧げるにはピッタリ。チャレンジしてみませんか。建設業という仕事に、はまってみませんか。

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